アイザイア・バーリンの名言
[1909.6.6 - 1997.11.5]
イギリスの哲学者。ロシア帝国領当時のラトビアの首都リガに生まれ、ロシア帝都だったペトログラードに移りロシア革命を目撃するなどした後、イギリスに移り、オックスフォード大学に学び、哲学の研究員となる。その後、ワシントン、モスクワの大使館に務め、再びオックスフォードに戻り教授となった。多様な自由・平等・正義が存在するとする価値多元論を説き、その「積極的自由/消極的自由」の概念は有名。著書は、『自由論』『ロマン主義と政治』『理想の追求』『反啓蒙思想』『マキアヴェッリの独創性』『ロシア・インテリゲンツィヤの誕生』『北方の博士J・G・ハーマン――近代合理主義批判の先駆』『歴史の必然性』『人間マルクス――その思想の光と影』等。
To confuse our own constructions and inventions with eternal laws or divine decrees is one of the most fatal delusions of men.
我々の創造や発明を永遠の法則や神の命令と混同するのは、人間のもっとも致命的な妄想の一つだ。
Philosophers are adults who persist in asking childish questions.
哲学者というのは、子どもじみた質問をすることに固執する大人のことだ。
The fundamental sense of freedom is freedom from chains, from imprisonment, from enslavement by others. The rest is extension of this sense, or else metaphor.
自由というものの基本的な意味合いは、他者による束縛、監禁、隷属からの自由ということだ。それ以外は、この意味の拡張か、あるいは喩えである。
Single-minded monists, ruthless fanatics, men possessed by an all-embracing coherent vision do not know the doubts and agonies of those who cannot wholly blind themselves to reality.
ひたむきな一元論者、無慈悲な狂信者、すべてを包括する首尾一貫したビジョンに取り憑かれた人々は、現実に完全に盲目的であることができない者たちの疑いや苦しみを知らないのだ。
The simple point which I am concerned to make is that where ultimate values are irreconcilable, clear-cut solutions cannot, in principle, be found.
私が懸念している単純なポイントは、究極の価値が共存できないところでは、原則として明快な解決策を見出すことができないという点である。
Historians of ideas, however scrupulous and minute they may feel it necessary to be, cannot avoid perceiving their material in terms of some kind of pattern.
思想史家は、本人は慎重で綿密であることが不可欠だと思っているかもしれないにしても、資料を類型的な観点から認識せずにはいられないのである。
Injustice, poverty, slavery, ignorance — these may be cured by reform or revolution. But men do not live only by fighting evils. They live by positive goals, individual and collective, a vast variety of them, seldom predictable, at times incompatible.
不正や貧困、隷属、無知といったものは、改革や革命によって解決されるかもしれない。しかし人間は悪との戦いのみに生きるものではない。人は個人的、集団的に積極的な目標をもって生きているのだが、それは多様であり、予測可能なことはまれで、ときに相容れないものであるのだ。
Everything is what it is: liberty is liberty, not equality or fairness or justice or culture, or human happiness or a quiet conscience.
すべては、そのままだ。自由は自由であり、公正でも正義でも文化でもなく、人類の幸福や平穏な良心でもないのだ。
The very desire for guarantees that our values are eternal and secure in some objective heaven is perhaps only a craving for the certainties of childhood or the absolute values of our primitive past.
我々の価値観が実在の天国のようなところにおいて永遠でありかつ約束されたものであるとの保証を欲しがることそのものは、おそらく子供時代における確実性や、あるいは原始的な過去における絶対的な価値観といったものに対する渇望にすぎないのだろう。
If, as I believe, the ends of men are many, and not all of them are in principle compatible with each other, then the possibility of conflict — and of tragedy — can never wholly be eliminated from human life, either personal or social.
私が信じるとおり人間の目的が数多くあり、原則としてそれらが互いにすべて両立できるわけではないのであってみれば、個人的なものであれ社会的なものであれ、人間の生から紛争と悲劇の可能性を完全に排除することは不可能であろう。
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