ジャン・ボードリヤールの名言
[1929.7.29 - 2007.3.6]
フランスの哲学者。パリ大学教授。物質面を重視する教条的マルクス主義の生産中心主義の思想を批判し、反映する対象のない、実在から遊離した純粋な記号を意味する「シミュラークル」の概念を用いて、それらの交換を延々と続けるものとして現代の大量生産・消費社会を分析、記号の圧倒的優位を説いた。著書は、『物の体系: 記号の消費』『消費社会の神話と構造』『記号の経済学批判』『生産の鏡』『象徴交換と死』『誘惑論序説――フーコーを忘れよう』『シミュラークルとシミュレーション』等。
The real is not only what can be reproduced, but that which is already reproduced, the hyper-real.
現実は、ただ再生産されうるものではなく、すでに再生産されたものであり、つまり超現実なのである。
Boredom is like a pitiless zooming in on the epidermis of time.
退屈というのは、時の表皮の上を無慈悲に拡大するようなものだ。
The need to speak, even if one has nothing to say, becomes more pressing when one has nothing to say, just as the will to live becomes more urgent when life has lost its meaning.
人生が意味を失ったときに生きようとする意志がより執拗になるのと同じように、話すことの必要性は、何も話すことがなくとも、何も話すことがないときにこそ、より切迫したものとなるのだ。
Challenge, and not desire, lies at the heart of seduction.
誘惑の核心にあるのは、欲望ではなく挑戦である。
The discourse of truth is quite simply impossible. It eludes itself.
真実の言説は、端的に言って不可能である。それは、それ自身から逃れ出るのだ。
Simulation is no longer that of a territory, a referential being or substance. It is a generation by models of a real without origin or reality: a hyperreal.
シミュレーションは、もはやとある領域や参照する存在や物質についてのものではない。それは起源や現実を持たない現実のモデルによる生成であり、つまりは超現実なのである。
When the real is no longer what it was, nostalgia assumes its full meaning.
現実がもはや過去にあったとおりのものではなくなったとき、ノスタルジーは完全な意味を担うこととなるのだ。
We are in a logic of simulation, which no longer has anything to do with a logic of facts and an order of reason.
我々はシミュレーションの論理の中にいるのであり、もはや事実の論理や理性の秩序とは、何らの関係もないのだ。
Forgetting extermination is part of extermination ,because it is also the extermination of memory, of history, of the social, etc.
絶滅を忘却することは絶滅の一部である。何となれば、それは記憶や歴史や社会といったものの絶滅でもあるからだ。
The simulacrum now hides, not the truth, but the fact that there is none, that is to say, the continuation of Nothingness.
シミュラークルはいまや真実ではなく、何もないという事実、つまり無の継続を隠しているのである。
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