カール・バルトの名言
[1886.5.10 - 1968.12.10]
スイスの神学者。バーゼルで牧師の子として生まれる。無名の牧師時代に著した『ローマ書』によって脚光を浴び、弁証法神学運動の中心的存在となった。ドイツの大学から招聘され教鞭を執っていたが、ヒトラーへの忠誠宣誓を拒否したため解職。以後スイスに帰国し、ヒトラーに抵抗する教会闘争の思想的支柱となった。20世紀の神学界に最も大きな影響を与えたとされる。著作は他に、『教義学網要』『教会教義学』『死人の復活』『ピリピ書注解』『キリスト教の教理』『福音主義神学入門』『東と西との間にある教会』『信仰告白』『福音と律法』『啓示・教会・神学』等がある。
Grace must find expression in life, otherwise it is not grace.
恩寵は、生の中で顕現せねばならぬ。さもなくば、それは恩寵ではないのだ。
Faith in God's revelation has nothing to do with an ideology which glorifies the status quo.
神の啓示への信仰は、現状を賛美するイデオロギーとは如何なる関わりもないものだ。
The best theology would need no advocates; it would prove itself.
最上の神学は擁護者を必要としない。なぜなら、それはそれ自身を証明するからである。
Jesus is the movement for social justice, and the movement for social justice is Jesus in the present.
イエスとは社会正義のための運動であり、社会正義のための運動は現在におけるイエスなのだ。
Real socialism is real Christianity in our time.
真の社会主義というのは、現代における真のキリスト教である。
The power of God can be detected neither in the world of nature nor in the souls of men.
神の力は自然界と人間の精神のいずれにおいても、うかがい知ることができない。
In Jesus, God really becomes a mystery, makes himself known as the unknown, speaks as the eternally Silent One.
イエスにおいて神は真に神秘となり、自らを未知のものとして知らしめ、永遠に沈黙せるものとして語るのである。
Religion is the possibility of the removal of every ground of confidence except confidence in God alone.
宗教とは、ただ神への信頼をおいて他に、いかなる信頼の根拠をも取り去る可能性である。
Piety is the possibility of the removal of the last traces of a firm foundation upon which we can erect a system of thought.
敬虔さとは、我々がそこに思想体系を構築しうる確固たる基盤の最後の痕跡を取り去る可能性である。
God is inconceivable.
神は、想像不可能である。
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