カール・セーガンの名言
[1934.11.9 - 1996.12.20]
アメリカの天文学者、作家。ニューヨークで生まれ、シカゴ大学で天文学と天体物理学を学び、博士号を取得。惑星科学において多大な貢献をし、特に金星の高温大気や火星の季節的な変化に関する研究で知られる。また、NASAの宇宙探査ミッションにおいて重要な役割を果たし、ボイジャー探査機に搭載された「ゴールデンレコード」の作成にも関与。彼の最大の功績の一つは、一般市民に科学の魅力と重要性を伝えるための努力であり、その代表作であるテレビシリーズ『コスモス』は世界中で広く視聴され、高い評価を受けた。彼は科学的懐疑主義とヒューマニズムに基づいて宗教を批判し、理性的で根拠に基づいた思考を推進した。環境保護や核軍縮などの社会問題にも積極的に取り組み、いわゆる「核の冬」理論はリチャード・ターコらとともに提唱したものである。著書は『コスモス』『コンタクト』『エデンのドラゴン』『デーモン・ホーンテッド・ワールド』等。
It seems to me what is called for is an exquisite balance between two conflicting needs: the most skeptical scrutiny of all hypotheses that are served up to us and at the same time a great openness to new ideas.
必要なのは二つの相反するニーズについての絶妙なバランスなのだと、私には思える。つまり、我々に示されるあらゆる仮説をもっとも懐疑的に精査することと、同時に新しいアイデアに対して極めてオープンであることだ。
We live in a society absolutely dependent on science and technology and yet have cleverly arranged things so that almost no one understands science and technology. That's a clear prescription for disaster.
我々は科学技術に絶対的に依存した社会に生きているのだが、科学技術を理解する者がほとんどいないように、物事は巧妙に仕組まれている。これは明らかに、大惨事への処方箋である。
Not explaining science seems to me perverse. When you're in love, you want to tell the world.
科学について説き示すことをしないのは、おかしなことのように思える。恋をしているときには、世に伝えたくなるものだ。
Science is much more than a body of knowledge. It is a way of thinking. This is central to its success. Science invites us to let the facts in, even when they don't conform to our preconceptions.
科学は単なる知識の体系ではない。それは思考の方法である。これこそが科学の成功の核心だ。たとえ我々の先入観にそぐわないものであっても、科学は事実を受け入れるよう我々を促すのである。
Science is a way of skeptically interrogating the universe with a fine understanding of human fallibility.
科学とは人間の誤謬性をよく理解したうえで、宇宙を懐疑的に質す方法である。
If by God one means the set of physical laws that govern the universe, then clearly there is such a God.
もし神というのが宇宙を支配する一連の物理法則を意味するのなら、そうした神が存在することは明らかだ。
The truth may be puzzling. It may take some work to grapple with. It may be counterintuitive. It may contradict deeply held prejudices. It may not be consonant with what we desperately want to be true. But our preferences do not determine what's true.
真実は不可解であるかもしれない。理解に苦しむものかもしれない。直感に反するかもしれない。深く抱かれた偏見と矛盾するものかもしれない。真実であってほしいと切に願うことと一致しないかもしれない。しかし、我々の好みが何が真実かを決めるのではないのだ。
I would love to believe that when I die I will live again, that some thinking, feeling, remembering part of me will continue. But much as I want to believe that, and despite the ancient and worldwide cultural traditions that assert an afterlife, I know of nothing to suggest that it is more than wishful thinking.
死んでもまた生きられ、自らの思考や感情、記憶の一部が続くのだとぜひとも信じたいが、そう信じたいのは山々だし、古今東西、死後の世界を主張する文化的伝統があるのにもかかわらず、それが希望的観測以上のものであることを示唆してくれるものを、私は知らないのだ。
All of the books in the world contain no more information than is broadcast as video in a single large American city in a single year. Not all bits have equal value.
世界中のすべての本に含まれる情報は、アメリカの大都市で一年の間に映像として放映される情報に及ばない。あらゆるビットの価値は同じではないのだ。
I think people in power have a vested interest to oppose critical thinking.
権力者というのは、批判的思考に反対することについての既得権益を持っているのだと、私には思えるのだ。
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