ジョルジュ・バタイユの名言
[1897.9.10 - 1962.7.9]
フランスの哲学者。中部フランスのビヨンにて農民の子に生まれ、初め聖職者を志すが、思春期を境に徹底した無神論に転じ、その立場から人間の至高の在り方を追求。古文書学校を卒業後、終生国立図書館に司書として勤務。マルクス、ヘーゲル、ニーチェ等の影響のもと、死とエロティシズムを中心的テーマとし、哲学、宗教、経済学、社会学、芸術論、詩、小説、文芸批評など多岐に渡って、その思想を展開した。著書は、『眼球譚』『太陽肛門』『空の青』『マダム・エドワルダ』『内的体験』『呪われた部分』『宗教の理論』『C神父』『文学と悪』『エロティシズム』等。
It is clear that the world is purely parodic, in other words, that each thing seen is the parody of another, or is the same thing in a deceptive form.
世界が純粋にパロディー的であるのは明らかであり、換言すれば、見受けられるそれぞれの物事は他のパロディーであり、あるいは欺瞞的な形で現れた同じものなのである。
Everyone is aware that life is parodic and that it lacks an interpretation.
生というのはパロディー的であり、またそれに解釈が不足しているのは誰でもが知っていることだ。
Love expresses a need for sacrifice each unity must lose itself in some other which exceeds it.
愛は、それぞれの統一が、それを超える何らかの他者において自らを失わねばならぬ犠牲の必要性を表している。
In erotic frenzy the being is led to tear itself apart and lose itself.
エロス的な狂乱においては、存在はそれ自身を引き裂き、自らを失うよう導かれるのである。
To choose evil is to choose freedom — "freedom, emancipation from all restraint."
悪を選ぶことは、自由を選ぶことだ。「自由、あらゆる拘束からの解放。」
States of glory and moments of sacredness surpass results intentionally sought.
栄光の状態と神聖の瞬間とは、意図的に求められた結果を凌駕するのである。
Human entirety can only be what it is when giving up the addiction to others' ends.
人間の全体性というのは、他者の目的への依存を放棄してこそ、ありのままの姿となるのだ。
All eroticism has a sacramental character.
あらゆるエロティシズムには、秘跡の性格があるものだ。
There is no better way to know death than to link it with some licentious image.
死を知るには、それを何某かの淫らなイメージと結びつけるのが一番だ。
We have in fact only two certainties in this world—that we are not everything and that we will die.
じつのところ、この世において確かなのは、自分がすべてのものではないことと、自分が死ぬということの二つだけだ。
1 - 10 / 13件
本の読み放題はコチラ |
本の聴き放題はコチラ |