サミュエル・ベケットの名言
[1906.4.13 - 1989.12.22]
アイルランドの劇作家、小説家、詩人。ダブリンのトリニティ・カレッジを卒業後、パリのエコール・ノルマル・シュペリウールで英語講師を務め、ジェイムズ・ジョイスと親交を結ぶ。第二次大戦中は、フランスのレジスタンス運動に参加するなどしたが、ゲシュタポの手を逃れパリを脱出、農村で執筆を続ける。「小説や戯曲の新たな形式において現代人の悲惨さを描き、偉業を果たした」としてノーベル文学賞を受賞するも、授賞式には出席しなかった。第二次世界大戦後のフランスで発表された前衛的な小説作品群、いわゆる「ヌーボーロマン」の先駆者とされる。著作は、『ゴドーを待ちながら』『ワット』『モロイ』『マロウン死す』 『名づけえぬもの』『事の次第』『いざ最悪の方へ』『見ちがい言いちがい』等。
The only sin is the sin of being born.
唯一の罪は、生まれるということの罪だ。
The sun shone, having no alternative, on the nothing new.
太陽は選択の余地もなく、何らの新しいところのないもののうえに輝いていた。
God is a witness that cannot be sworn.
神とは、誓うことのできぬ証人である。
Does one ever know oneself why one laughs?
なぜ笑うのか、自分で分かるものなのだろうか。
It sometimes happens and will sometimes happen again that I forget who I am and strut before my eyes, like a stranger.
自分が誰かを忘れ、見知らぬ者のように目の前を闊歩することがときに起こり、またときに再び起こることだろう。
There is a little of everything, apparently, in nature, and freaks are common.
自然においては何でも少しはあるようであり、だからフリークスは普通のものなのだ。
Nothing is more real than nothing.
無よりもリアルなものはないものだ。
The tears of the world are a constant quantity. For each one who begins to weep, somewhere else another stops. The same is true of the laugh.
世界の涙の量は一定だ。誰かが泣き始めたら、どこかで他の誰かが泣き止む。同じことが、笑いについても言える。
I, of whom I know nothing, I know my eyes are open, because of the tears that pour from them unceasingly.
何も知らぬ私だが、目が開いていることは知っている。絶え間なく涙が流れているからだ。
We are all born mad. Some remain so.
我々は皆、生まれながらに狂っている。人によっては、そのままだ。
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