テオドール・アドルノの名言
[1903.9.11 - 1969.8.6]
ドイツの哲学者、音楽批評家。マルクス主義の理論を基盤としつつ、実践的で自己批判的に問題を分析し人々を解放せんとする、いわゆるフランクフルト学派の一員で、ホルクハイマー、ハーバーマスらとともに当該学派を代表する存在とされる。フランクフルト大学で哲学を修めた後、アルバン・ベルクに作曲を学び、音楽雑誌の編集に携わったが、『キルケゴール論』で教授資格を得て、同大学で教鞭を執る。ナチスの政権獲得後アメリカへ亡命するも、戦後すぐに帰国。その思想は、啓蒙が人々の解放としかしまた新たな抑圧を生むとする「啓蒙の弁証法」、権力者によって支配されたマスメディアや大衆文化が消費者を操作するとの主張を含む「文化産業」、絶対的真理や普遍的価値ではなく現実的な問題の解決を目指す「負の哲学」などの概念で知られ、また芸術を人々を解放すべきものとして措定したとされる。著書は、『ミニマ・モラリア』『否定弁証法』『プリズメン』『新音楽の哲学』『自律への教育』『新音楽の哲学』『三つのヘーゲル研究』『美の理論』『権威主義的パーソナリティ』等。
Fear and destructiveness are the major emotional sources of fascism, eros belongs mainly to democracy.
恐怖と破壊性とはファシズムの主たる感情的源泉であり、エロスは主として民主主義に属するものである。
Writing poetry after Auschwitz is barbaric.
アウシュビッツの後に詩を書くことは、野蛮である。
When I made my theoretical model, I could not have guessed that people would try to realise it with Molotov cocktails.
私が理論的なモデルを構築したときには、人々が火炎瓶でそれを実現しようと目論むなどとは想像だにしていなかったものだ。
Jazz is the false liquidation of art — instead of utopia becoming reality it disappears from the picture.
ジャズというのは芸術の偽りの打破であり、つまりはユートピアが現実のものとなる代わりに、それは姿を消してしまうのだ。
Advancing bourgeois society liquidates memory, time, recollection as irrational leftovers of the past.
ブルジョア社会の進展は、過去の不合理な残滓として記憶、時間、想起を一掃してしまうのである。
It is one of the basic tenets of fascist leadership to keep primary libidinal energy on an unconscious level so as to divert its manifestations in a way suitable to political ends.
原始的なリビドーのエネルギーを無意識レベルで保持し、その発現を政治的目的に適した形で転用することは、ファシスト指導者の基本的な信条の一つである。
Music for entertainment ... seems to complement the reduction of people to silence, the dying out of speech as expression, the inability to communicate at all.
娯楽のための音楽というのは、人々が沈黙させられること、表現としての発話が消え去ること、まったくコミュニケーションが取れなくなることを補完するものであるように思えるのだ。
Impulse, subjectivity and profanation, the old adversaries of materialistic alienation, now succumb to it.
衝動、主観性、世俗化は、物質主義的な疎外感に対する古くからの敵対者であったが、今ではそれに屈服してしまっている。
The blessing that the market does not ask about birth is paid for in the exchange society by the fact that the possibilities conferred by birth are molded to fit the production of goods that can be bought on the market.
市場が出自を問わないということの恩恵は、出自によって授けられた可能性が市場で購入されるだろう商品の生産に適合するように形作られるという事実によって、交換社会において報いを得るのである。
The metaphysical apologia at least betrayed the injustice of the established order through the incongruence of concept and reality. The impartiality of scientific language deprived what was powerless of the strength to make itself heard and merely provided the existing order with a neutral sign for itself. Such neutrality is more metaphysical than metaphysics.
形而上学的な弁明は、少なくとも概念と現実の不一致を通じ、既存の秩序の不公正を明らかにした。科学的言語の公平性は、無力な者が自ら声を上げる力を奪い、既存の秩序に中立的な記号を与えるだけであった。このような中立性は、形而上学よりも形而上学的なものだ。
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